小関アスリートバランス研究所

Kab Labo

バランスの力

心と体のバランスを保つ
(ほぼ)日刊語録


(マガジンID:0000211621) 登録無料 ※内容は変更する場合があります。ご了承下さい。

プロ論|2008年12月20日

●プロ論

プロになれば、大変だ。
楽しさだけでは、プロはやっていけない。

これはスポーツだけのことではない。
よく見ると、生活や仕事、なにか意識的に行なうもの
すべてに当てはまる。

私も以前はなんの不思議もなくそう思っていた。
しかし、この苦しさ、辛さとは何だろう。

苦しい、辛い。

しかし、そう思ったからといって、パフォーマンスは変わらない。
否、逆にパフォーマンスは低下する。

その中に楽しみを見出す。というが、
違う感情は同時に存在しない。
どちらかである。

何かしようと思った瞬間、プレッシャーが表れる。
そう在りたい、
もっとこうなりたい、
こうであらなければならない、
そんな自分の欲求との格闘がそれを生む。

プロの苦しさ、辛さの度合いとは、
自分自身の投影であることに、
気付かなくてはならない。

そこから解放されたプロは型にはまっていない。
全体のバランスが抜群である。
世間にも、自分にも囚われない。

プロでありながらプロ(専門家)になっていない。

それが本当のプロではないだろうか。

              kab labo.小関

考えをコントロールする|2008年12月 3日

●考えをコントロールする 人は考えに囚われやすい。 何故なら、考えを自分自身として 重ねて捉えてしまうからだ。

しかし、考えも手足と同じ
ひとつの能力や機能である。

手も足も自分で自由にコントロールできるように、
考えもひとつの能力や機能として捉えることが大切だ。
何故なら、考えが全体を把握することはできないからだ。

ひとつの機能として捉えられれば、
考えも自分でコントロールできる。

考えが起こることをコントロールすることは難しいが、
それ自体を受け止めることで
もっと全体的にコントロールすることは可能である。

考えに囚われるのではなく、
考えを把握し受け止めるだけで、
考えをコントロールできるようになる。

                     kab labo.小関

崩れぬバランス|2008年10月21日

●バランスを保つ

身体バランスが良い人とは、
「バランス」が崩れない人ではなく、
「バランス感覚」が崩れにくい人である。

バランス感覚とは
外面的なものではなく、
内面的なものである。

だから外面を鍛えても
結果が表れない人が絶えない。

内面は鍛えるのではなく、
気づくしないない。
どんな感覚がそれをもたらすのか。
どんな感覚がバランスを保つのか。
どんな感覚がバランスを崩してしまうのか。

               kab labo.小関

問題と貴方(私)|2008年9月26日

●問題と貴方(私)


問題が起こっている
その時、必ず貴方がそこいる。

いくら環境や状況が変わっても、
常に貴方はそこにいる。


          kab labo.小関


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何を見る?|2008年9月24日


●見る

人は「見たいもの」を「見たいように」見ている。
その人にとってはそれが真実であろう。

間違いではないが、それは全体の一部でしかない。

「見たいもの」を「見たいように」は
すべて個人的な都合である。

この個人的都合を取り払って見ることは
すべての問題解決に繋がる。

何故なら、すべて悩みや問題は
個人的な都合(記憶)から生まれるからである。

バランスボードでバランスを保てることが
大切なのではない。

バランスを保つときに、バランスを阻害する
何かを発見することである。

何かを発見したら、また新たな発見ができる。
その過程が「感覚を深めていく」ということ。

そのためには、「見たいことを」「見たいように」
ではなく、ただ個人的制限なく「見る」状態が必要なのだ。

それが自然体やニュートラルを
感じることができる唯一の手段である。

                   kab labo.小関

間合い|2008年9月23日

●間に合う 間合いという言葉がある。 これは、相手との間合いという意味もあるが、 大事なのは自分自信に対しての間合いである。

身体が間に合っていない、
心が間に合っていないとき、

相手との間合いもとれなくなっている。
アスリートたちがいいパフォーマンスを
発揮したとき、口を揃えてこう言っている。

「自分のプレーができました」
「自分の動きができました」と。

自分自身の間合いがとれなくて、
他人との間合い、外物との間合いは
とれるはずがない。

まずは、自分の間合いを見つめてみては
いかがだろうか?

                             kab labo.小関


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軽快に動く|2008年9月23日

●軽快感 軽快に動くには、 軽快に動く準備が必要である。 それは、軽快感を持つことである。 軽快感とは軽快に動ける感じのこと。

試しに、実験してみよう。
・まず、その場でなるべく早く(全力で)
駆け足(足踏み)をする。
・次に、もっと早く、早くと気持ちをもって
同じように駆け足(足踏み)をしてみる。
・次に、楽な自由な状態になってから
同じように駆け足(足踏み)をしてみる。

どうだろう。違いがはっきり表れるはずである。

軽快に動くには、早く動こうとする気持ちより、
身体の状態が軽快かどうかが大切である。

緊張して身体が動かなくなった時、
それは気持ちが先走っている証拠。

そんな時、
身体に軽快感があるか聞いてみるのも方法である。

                       kab labo.小関

まだ余裕がございます。よろしければ是非、体感ください。
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注意の注意|2008年9月22日

●注意の注意

注意すること。

私たちは注意するといった場合、
殆どが何かに注意する。

それは目的を持ってしまうこと。

だから、
何か予め注意する事柄を決めていることになる。
それは見方を変えれば、
他のすべてが疎かになりうる状態でもあるのだ。

大事なのは、部分的注意ではなく、
目的を決めない全体的注意である。

例えば、スポーツで何度も失敗していることに
注意すればするほど、
他のことが疎かになり、結果的に同じような失敗や
違う失敗をしてしまう。

ここでの大きな問題は、
問題を問題にしていることである。

これが部分的注意の注意点。

「失敗する何か」から離れた時
この問題は解決し始める。

何かを注意するのではなく、
不注意が起こったことに気付くことが大事。

そのためには、
目的を持たない全体的注意が大事である。

全体的に注意とは、ニュートラルであり、自然体である。
逆にニュートラルで自然体の時しか、全体的注意はできない。

この時、結果的に一番注意深くなっている。

                            kab labo.小関

身体操作法|2008年9月18日

●身体操作法 身体の使い方や操作方法など 最近では色々とある。

私自身も講習会などで
身体の使い方を伝えているが、
大事なのは方法や理論ではない。

身体や動作、運動の捉え方(考え方)と
バランスの良い感覚掴みである。

方法や理論は殆どが跡付けである。
理解は行う前にするのではなく、
後からするものである。

形や型はいつでも修正できる。


-捉え方-

身体のことは殆ど分かっていない。

分かっていることはほんのわずかである。

しかし、人は分かっていることを駆使して
分からないことも分かろうとする。
安心したいのだ。


それが制限となり、バランスの偏り、崩れとなる。

では分かっていないことを
どう理解したらいいだろうか?


それは分からないままにしておけばいい。

つまり、自然にしておくことである。


自然という状態が全体を取りまとめてくれる。

ほんの少し分かったことを利用するより、
殆ど分かっていないことを活かした方が
いいのではないだろうか?

そうやって自分を苦しめてしまっている
スポーツ選手が本当に多い。

人はわからないことが殆どなのだ。
それが当たり前なのだから
そうしておけばいい。

何の問題があるだろうか。
その方が体も動くし、作用も大きいのだ。


-感覚を掴む-

これは是非体験して頂くしかないので、
機会がございましたら覗いてみてください。

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勝負脳|2008年8月21日

【勝負脳】

スポーツの祭典、オリンピックでは勝負脳という言葉が
注目されている。kab labo.風に解説してみよう。

人は「行為・行動」する前に、それを「決断」している。
そしてその前には、「思い」が生じている。

我々はこの一連の流れを
個々の物として理解する傾向がある。

身体は、もともと全体が一つのものであり、
バラバラに組み合わせて使うものではない。

つねに全体観という視点を忘れてはならない。

行為を変えることで、人格や性格も変わることもあるが、
変わらないことも多い。

何故だろうか?

それは、前述したプロセスを一つとして捉えていないからである。

思い → 決断 → 行為

この3つは一つの行為であり、一つのプロセスである。
だから思うことは、即行為となる。

思っても決断できなければ、行為までには及ばない。
一般的にはこれは、行為は行なわれなかったことになるが、
実際には思った時点でそれが行為なのである。

厳密に言えば、実際の行動がなくても身体には、
わずかな反応として表れているのだ。
つまり行為していることになる。

例えば、やりたくないことでもやらざる得ないことがある。
思いは抵抗しているが、行動・行為をしている。
これは、心と体との分離が始まっていることになる。

まるで、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるように。

だから身体的には、疲労度合いが大きくなる。
また、能力(運動)発揮にブレーキが掛かることになる。
100%の能力が70%や50%となるようなものである。

逆に、やりたいけど、行為できないことも同じストレスとなる。

もちろん、社会的動物である限り、必要な場合もあるが、
常にこの状態がある人は、いつかオーバーヒートしてしまう。

ただ、運動に関しては大きな弱点となる。

「思い」だけ変えて、決断できず、行為が伴わない。
「行為」だけ変えたが、思いが伴わない。

大事なのは、思いと行為を一致させることである。
まずは、自分の思いに注目して、行為・行動との
方向性に目を向けてみてはいかがだろうか。

                      kab labo.小関