小関アスリートバランス研究所

Kab Labo

バランスの力

心と体のバランスを保つ
(ほぼ)日刊語録


(マガジンID:0000211621) 登録無料 ※内容は変更する場合があります。ご了承下さい。

間合いを知る|2009年1月30日

●間合い 間合いを取る。 間合いを詰める。 武術だけではなく、スポーツや仕事、人間関係など すべてに関わってくるのがこの間合いである。

この間合いで誰がその場を仕切るのかが決まり、
スポーツであれば、どちらが主導権を握るのかが決まる。

それは、ただ相手がいての距離感や相互関係での
物事ではない。

自分らしさをどれだけ保てるかが決め手となる。
人は自然に行った時ほど能力を発揮する。
考えすぎたり、固めすぎたり、使いすぎたりと、
過ぎるはパフォーマンス低下の一番の原因である。

大事なのは、自分自身の間合いを持つことである。
自分自身の間合いとは、心も体も早すぎず、遅すぎず、
間に合って動くことである。

焦って動くこと、考えすぎて動かないこと、
どちらも間に合ってはいない。

自分に間に合うこと。

相手に合わせる前に自分の何がズレているのか。
事に自分が間に合っているのかをよく観察してみる。

それが結果的に間合いを詰めたり、間合いを制すること
に繋がってくる。是非試して頂きたい。

                       kab labo.小関

否定を拾う|2009年1月29日

●否定はゴミ箱へ

否定は抵抗を生み、
抵抗は争いを生み、
争いは混乱を生む。

身体も同じである。
考えや迷いが抵抗感となって現れる。
こうしなくては、こうしなければ、これはしないように…

その抵抗は身体の中で様々な作用を打ち消しあう。
そして出力されるはずの能力が半減する。

抵抗感は拒否しても、
見ない振りをしてもそこにあり続ける。

ゴミは、拾ってゴミ箱に入れなければ、
そこにあり続けるように。
誰かが拾ってくれることもあるだろうが、
それは、一時的なものでしかない。

だったら、自分で拾いどんなゴミなのかよく観察してみればいい。
もしかしたら、それは宝の地図かもしれないのだから。

                        kab labo.小関

歪みを正す|2009年1月28日

●歪み 「歪む」という文字は「不正」と書く。

不正の「正」とは何を指しているのだろうか。
何が「正」ではないのだろうか。

我々の「正」は個々に違う。
善いこと、悪いこと。
許せること、許せないこと。…

個人的な基準の「正」ではない。
もっと壮大な「正」である。

「正」とは「自然」である。

自然は私たちが把握できるものではない。
私たちは受け入れるしかない。
それが自然の力である。

それにそぐわないとき、
不自然という歪みを起こす。

歳をとれば、柔軟性は小さくなり、
筋肉の強さも衰えてくる。

腰も曲がってくるかもしれない。

しかし、それはここで言う「歪み」ではない。

腰が曲がったらそれを修正することを
「歪みを直す」ことと勘違いしてはならない。
曲がることもひとつの自然であるからだ。

腰が曲がった状態でも
その範囲での自然体がある。
まず、それが大切である。

歳をとって歩幅狭くなった、足が上がらなくなったから、
単に歩幅を広げたり、足を上げたりしたらいいのだろうか。
それが不自然を生み出し、別のところに必ずしわ寄せを作る。

これが歪みの本質ではないだろうか。

「歪み」を修正するには、
部分的変化ではなく、全体感に目を向けることが大事である。

人も動物も
必ず、歳をとっていく。
歳をとるという言葉が嫌なら、「変化」といってもいい。

肌質も変わる。
新陳代謝も変われば、
食すものや量も変わっていく。

感覚、感性に注目していると
その変化を大切にできる。

しかし、見た目や情報に囚われると
その変化は見えなくなる。

考え事をしていると、
周りで起こっていることに
気付かないのと同じである。

瞬間瞬間私たちは変化していく。
変化とは自然である。
自然は今この瞬間に起こっていることであり、
過去にも未来にもない。

形や過去の情報と比べていると、
個人的な「正」を作ってしまう。

比べているうちにも、
変化は起こり続ける。

変化を味わうことなく、
過去に囚われ、
歳をとることが問題である。

歪みは今から離れた時に表れるもの
ではないだろうか。

身体的若さは戻らないかもしれないが、
自然体を深め続けることはできるだろう。

そしてそれが一番若々しく生きることではないだろうか。

                     kab labo.小関


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限界とパフォーマンス|2009年1月22日

●「限界まで使わない」がコツ

身体を限界まで使えば
能力が発揮できるのは嘘である。

やった感があっても
結果が伴わないのはそのためだ。

限界とはすでにバランスを崩している状態では、
ケガの元になるばかりか、パフォーマンスを
著しく低下させる。

大事なのは限界まで使うのではなく、
良い加減で使うことである。

例えば、
・片腕を前に限界まで伸ばしてみる。
・その腕で少し重量を感じるものを持ってみる。
・次に、普段コップを持つぐらい普通に
・同じものを持ってみる。

それだけでパフォーマンスの違いが
分かるはずである。

後者は何度行なっても疲れないが、
前者は数回でとてつもない疲労感が残ってしまう。


関節は開きすぎず、閉じすぎないこと。
筋肉は固めすぎず、緩めすぎないこと。
可動域は最大に使わず、有効に使うこと。
脳は考えすぎず、遊び感覚があること。

これらの要素は小手先の技術ではなく、
全て関連しているものであり、独立しているものではない。
感覚としてはわかりづらくなるが、全体の統制がとれている
証拠でもある。

これがパフォーマンスを発揮させるコツである。

                       kab labo.小関

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三位一体と一体三位|2009年1月19日

●一体三位

接触競技において大事なのは、
攻撃力、防御力、敏捷力であるが、
これらは別々のものと捉えてはならない。

攻撃力が防御力であり、
攻撃力が敏捷力であるのだ。

大相撲は力と力のぶつかり合いだが、
攻撃力を大事にしすぎると、
防御力が欠略し、
防御力を大事にしすぎると、
敏捷力が欠落する。

攻撃力は過度な緊張をすれば、明らかに低下する。
その緊張はバランスを崩す一番の原因であるし、
それによって身体は固定状態となり、動くことが困難となる。

これが、サイクルになってパフォーマンスの低迷、ケガの誘発に
繋がっていく。

なぜそうなってしまうのだろうか。

ポイントは
それらを別々に考え、トレーニングや考え方を分けてしまうことだ。

バランス講習会を受講されている方なら
体感されたと思うが、

これらはどれも違うものではない。

攻撃力があれば、防御力もあり、敏捷力もある。

これが三位一体、

いや、一体三位である。
「一体」が同時にいくつもの顔を持っているのが、
人間の身体である。
ここで言う「三」は単に3種類ではなく、
「沢山、無限」という意味である。

動物を観察していても分かるだろう。

ライオンが別々に動きを分けているだろうか。
攻撃が防御となっており、その動き自体に
敏捷性が同時存在している。

三位一体ではなく、
一体三位を知るには、
まず、自分の身体のことをよく観察する必要がある。
そのためには今まで培った情報を一旦手放す必要がある。
忘れることはないが、手放すことが大事である。
でないと、新しい体験をすることはできないからだ。

大相撲の横綱2人は、それらの一体三味を体現している。
だらから別格の強さがあるのだ。
動きが止まるのは、運動を別々にしてしまう結果である。
それを改善したいならば、バランス力を高めることが大切である。

バランスの働き、反応、重要度、範囲・・・

まずは、身体とは何か、その条件をよく体感してみることが、
一体三位の意味を体感する近道だろう。
これらの条件は、何か特別なことをして表れるものではない。
もともと、そういう働きが人間の身体にあるということである。

まずは、各トレーニングに攻撃力、防御力、敏捷力を阻害するものは
ないか確認してみてはいかがだろうか。

                           kab labo.小関

力<バランス力|2009年1月18日

●力感より、まずバランスを優先する。 BBBタイプGの特設サイトにも書いているが、 タイプGを履いた状態で物を持つと その荷物の重さが全く変わってしまう。

どう変わるかと言うと、軽くなってしまうのだ。

厳密に言えば、物自体の重量が変わるのではなく、
瞬時に持つ人の体質が変わるといってもいい。

例えば、両腕でだけで20?の子どもを持とうとすると、
とても大変なのは容易に想像できる。

しかし、胴体も使い抱きかかえたり、
おんぶしたりすれば数段楽に持つことができる。

このように持ち方次第で物の重さが変わるのだが、
ここで言っているのは、持ち方は何も変わらずとも、
重量感が変わることである。

簡単に言えば、持つ時の感覚を変えるだけである。

講習会ではこのようなことを体感してもらうが、
この変化に皆さん驚かれるようだ。

では、感覚をどう変えるのか。
大切なポイントを説明したい。

それは、自分のバランスを優先させることだ。
普通は何か重量物を持つ時、
まず、力を入れてから持つ。
という習慣が我々にはある。
つまり準備をしてしまう。

が、それをせずに荷物を持つことである。

えっ!と驚かれるかもしれないが、
準備はバランスのみと理解してもいいだろう。
もちろん、脱力ではない。
力を抜きすぎると様々な問題が生じる。
ここでは説明しないが、
調度良い加減、普通にしておくことが大事である。
(普通が一番難しいのだが…)

実験でタイプGを履いた状態で荷物を持つと
重量感が変わるのは、
力を入れる癖が使えず、仕方なくバランス優先になる。
なぜなら、力を入れると立っていられないからだ(バランスが崩れてしまう)。
だから、バランスをとるために常に動いている状態を
作らざるえない環境になるのだ。

不安な心とは裏腹に荷物の重量感が全く変わってしまう
仕組みである!ただ、これはあくまでも感覚を知ってもらう
実験なので注意して試して頂きたい。

ナチュラルな力が発揮できない理由に、
前述した、様々な癖が大きく関係している。

バランスを保つことに注目することによって
一旦、癖(ルーティン)から目を離すことが
できるのだ。

その瞬間、
みなさんはナチュラルボディになっている。

どれだけ、説明しても体感に勝るものはない。
タイプGはそんな感覚を見せてくれる
面白いアイテムなので興味のある方は
試してみてはいかがだろうか。

ボディバランスボードタイプG特設サイト

また、タイプGを利用しなくても、
力を余分に入れたり、抜いてみたりして
その感覚を探ってみても効果的である。
是非試して頂きたい。
                     kab labo.小関

しゃがむ運動に潜む可能性|2009年1月17日

●しゃがむ運動に秘められた身体操法。

日本人の日常の運動で少なくなったのが、
しゃがむという運動である。

少し前までは、しゃがむ動作は必要だった。
なぜなら、トイレで用を足すのに和便器が
主流だったからだ。

日常にだから(スクワットとは全く別である)、
なるべく疲れることはしないものである。

楽な姿勢、良いポジション、力み具合。
そういったものを知らず知らずのうちに
調整していたように思う。

まず、立ち姿勢が偏っていたら
しゃがむことはできない。
洋式の場合は多少姿勢が悪くても
楽に座ることができる。

また、関節(腰、膝など)への無駄な力みが
あっても、しゃがむのに困難である。
用を足すためには、余分な力みはムダであるし、
そして、立つときも同じ理由で力みがあると、
大変な労力を伴う。

もちろん、洋式を非難するつもりはない、
ただ、和便器にもこんなメリットがあることを
お伝えしたいまでである。

しゃがむ動作に様々な要素が入っていたことに
目を向けてほしい。

言葉にすると難しそうだが、日常のことだから、
我々は知らず知らずのうちに
機能的な体の使い方をしていたのだ。

日本人の姿勢が悪くなった1つの理由が
コレかもしれない。

よく足腰が強くなるというような表現がされるが、
厳密には、それらの運用の仕方(体の使い方)が上手になるのだ。
(結果、強いという表現でもいいが、鍛えるのとは違う)

結果、しゃがむ運動が姿勢調整、腰痛防止や
体力の温存にとても役に立っていたのだ。

今は、家庭にも外出先にも和便器が少ないが、
ないことはないので、
少し気をつけてしゃがむ運動を試してみては
いかがだろうか。

                   kab labo.小関

スウィング系スポーツ|2009年1月16日

●重心を押さえる

ゴルフや野球、テニス、卓球など
スウィングがあるスポーツが多い。

そしてこのスウィング系スポーツの
ポイントで道具と自分のとの関係を
どのように持つかが、
パフォーマンス発揮に大きく関わってくる。

ゴルフバランス講習会」などでも
かなり喜ばれた内容だが、

道具の形(見た目)に影響されて
道具の内容を把握していない場合が多い。
道具自体の性能や機能に注目しすぎて
自分との融合を疎かにしてるのだ。

それは、感覚で掴むしかないので
機会があればkab labo.講習会に
ご参加いただきたい。

ポイントとして
1つは、道具の重心を押さえること。
剣道やフェンシングでもそうだが、
これを押さえて道具を操る人と
そうでない人の差がとても大きく出てしまう。

威力もスピードも身体への負担(楽になる)も
全く違うものになる。

野球のバッティングでもこの理解を深めて
もらうため、面白い方法で練習して
もらっているが、効果覿面である。

そしてもう1つの利点として
最後まで落ち着いて打てるということだ。
重心を押さえていないと、
瞬間瞬間どこに道具があるのか把握できないため、
意識があせってしまう。

本来意識は目標物にあるはずが、
違うところに分散してしまうのだ。

特にゴルフなどでは打つ瞬間までこの分散には
気をつけなければならない。

しかし、その感覚を掴むことで見えるものが
大きく変わってくる!

例えば野球で、バンドをしている安心感が
スウィング中にもあるような感じである。

テニスで言えば、振らずにただ、ボールに当てるだけ。
のような感覚がスウィング中にもあるようなものだ。

道具の重心を理解するだけで
このぐらい違いを感じることができる。

道具を体の一部として捉えること。
これが、スウィング系スポーツの大きなポイントとなる。

是非試して頂きたい。

                     kab labo.小関

箱根の走り|2009年1月14日

●走り方の違い

長い距離になるほど、
無駄な動作や無駄な力は持久力に大きく影響している。
もちろん、メンタル的なプレッシャーはもちろんだが、
走る姿勢をもう少し検証し改善するだけで、
走力のレベルアップに繋がる。

箱根駅伝で走る姿勢を見ていて、
特に上空からの映像を見るとその違いに驚く。

それは、上体の傾きである。

飛びぬけて早い選手は、上から見ると背中が見え、
そうでない選手は胸が見えるのだ。

もう少し分かりやすく言えば、
前に進むのを動力源として走るのが前者。
脚力だけで走ろうとするのが後者である。
(7割〜9割が後者になっているようだ)

主力エンジンをどちらにするかで
体力の消耗具合が想像できるはずである。

これは単に姿勢を改善すればいい問題ではない。
もっと感覚的な問題である。

ケガやパフォーマンスに悩んでいる選手は大抵、
蹴る行為が強すぎることが引き金となっている。
分かりやすく言うと飛び跳ねるような感じで走るのだ。
一見、カモシカのように軽やかだが、
その負担は相当に大きいことに気付いていない。

黒人選手などは小さい頃から
野山を毎日のように歩いていたため、
この癖はないようだ。

そして、脚力に頼ることでもう1つ問題が増えてしまう。
それは、走りながらブレーキを掛けてしまうことである。
着地した瞬間、また脚力を強調するため、
瞬間ブレーキをかけて蹴る力を作らなくてはならない。

つまり、蹴るためにブレーキをかけるという
悪い相乗効果が生まれてしまう。

試しに下り坂で走ってみるとその違いが分かるだろう。
脚力を強調して下ってみる。
前に進む力を利用して下ってみる。

自然な力に頼ることの方が大きな力が生み出せるはずだ。

この違いを認識した人は、
まず、早く走ろうとする意思より、気持ちよく走ろうと感じることが、
問題解決の糸口になる。ここが根本的に変わらなければ、
今言った技術的なことはムダになる。

是非試して頂きたい。        
                              kab labo.小関

「ある」視点「ない」視点|2008年12月22日

●「ある」視点と「ない」視点

トレーニングの観念として、
ないものを身につける。
付け加える。
というのがベースなっている人が多い。

人は「ない」ものに対しての
欲求が高くなる。

しかし、私たちの体は
どうあがいても、
自分の身体以上のことはできない。

ちょっと見方を変えてみると
新しい発見ができる。

それは、
「ある」ものだけを追求してみること。

「ある」物に関して人は興味を持ちにくい。

恋愛と同じである。

恋愛とはお互いに
ないものを求めている時期があり、
そこに価値を見出すことがある。
そして、それを崇めてしまう。

しかし、大事なのはそれを通して
そのままの相手を知り、同時に
そのままの己を知ること。

身体面からいっても
恋愛のようにトレーニングしている
人が多い。

もっと素直に自分の身体と向き合えばいい。

「ある」ものを大事にすること。
「ある」ものをどう利用するか。
「ある」ものをどのように伸ばすか。
「ある」ものをもっと探してみること。
「ある」ものに働きかけすること。

すると身体はそれに答えるように
能力を発揮してくれる。

「ある」ものだけ見るようになると、
不思議と「ない」ものの欲求は薄くなる。

そして「ない」ものは迷路だということが分かる。
すると「ある」ものは道を示してくれる。

自分の「ある」もの、「ない」ものを
観察してみよう。

                    kab labo.小関