小関アスリートバランス研究所

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(ほぼ)日刊語録


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第4回ヒモトレから観る身体の可能性~ひもトレ祭'18 レポート|2018年10月 4日

9/23,24 第4回ヒモトレから観る身体の可能性〜ひもトレ祭’18

 
ヒモトレは非常にシンプルで分かりやすい。しかし説明するのが難しいのは、
自分自身を全部説明するのに等しいからに過ぎない。
でも、わざわざ自分を説明しなくても一緒にいて、触れ合い、過ごしてみれば、
伝わるものではないだろうか?
 
そして、それを受け取るだけのカラダ(センサー)を私達は持っている。
 
そんなヒモトレを様々ジャンル、分野から非常にリアルに検証してその全容を感じ、
ヒモトレが注目するポイントを知ってもらう機会が今回のイベントである。
甚だ簡単ではありますが、レポートまとめてみました。
 
 
23日の特別講座は、善通寺養護学校教諭藤田五郎先生「不自由が自由になるとき」
と題してごし紹介頂きました。
学校に通う生徒達の変化は勿論ですが、それ以前にある藤田先生の子供達の主体を
見守りながらのその接し方から導き、そして子供達に寄り添う、
藤田先生の姿勢に誰しもが感動し参考になったのではないかと思う。
 
続いての座談会では、翌日の会の講師陣がズラリ!最近発見した事例や研究を紹介。
こいそ接骨院院長小磯直樹氏による痛みとくすぐったがりについてヒモトレによる症例解説
熊本の藤川整骨院院長藤川孝徳氏には原因不明の難病の回復事例と斜視の変化の解説。
また最近広がりを見せている足ヒモトレの紹介など。
ヒモトレの未知なる可能性を感じる場となったが、甲野先生がヒモトレの性格を擬人化した表現は言い得て妙だった。
 
その後の前夜祭のヒモトレ基礎。ヒモトレの基本の使い方とポイントや視点を紹介させて頂いた。
 
 
不自由が自由に.jpg
 
 
 
 
ヒモトレ基礎.jpg

 
 
 
24日 ひもトレ祭。
 
バランスからだ塾の安田氏と理学療法士であり、だるま園園長の中西眞氏の
「才能の引き出し方とコツ、その見分け方」と題しての登壇。安田氏の無縄自縛、
有縄無縛、さらに藤田一照師が付け加えてくれた無縄無縛は、
ヒモトレのコンセプトを見事に言語化したものとして、この後の他の講座にもリレーされた。
 
中西氏はヒモトレが伝える運動の定義を最新のMRI動画を参考に丁寧に解説。
無自覚に脈打つ拍動(生命活動)にもヒモトレが、それを阻害する要因にアプローチしているかを
分かりやすく提示してくれた上で、子供達に体育以前のカラダをどう伝えているのか事例ともに紹介頂いた。
 
 
子供教育.jpg
 
 
 
次に「全体性を観察する、新たな評価法」と題して、つじ鍼灸院院長の辻敦志氏、
浜島医院院長の浜島貫氏が登壇。
 
ヒモトレに盲目的になるのではなく、更にその先に観える身体との向き合い方など、
様々な症例動画を紹介しながら解説。
辻氏は、自分の違和感から新たなヒモの巻き方や評価の仕方を紹介。
ヒモトレによる効果を知った時点でそれを捨て、
次を検証する辻氏の治療家としての真摯な姿勢を感じた。
 
ヒモトレから観えてくる距離感は人との関係性にも生かされることは伝えてはいたが、
浜島氏は励ましの言葉さも一歩間違えれば、即呪いの言葉なることを実際の動画で具体的に紹介。
ヒモトレの良さは人の感情や知恵が介入せず、シンプルに検証できること。
このポジションによって皆んなの知恵が個にならず、折り重なり、ミックスし、紡ぎ出されていくのだと感じた。
 
今回、浜島氏の言葉ひとつひとつが染み渡っていき感慨深くなった。
最後に「医療の分野において科学は大切だけど、それ以上に今起こっていることが大切なんです」
と締めくくってくれた。
 
 
新たな評価法.jpg
 
 
次に遠藤栄理香女史によるヒモトレヨガ。yogaの起源や意味の解説、そして問いかけから始まる。
彼女の明るいトーンでありながらも静かな感じは、会場全体を引き込んだ。
yogaというよりyoga以前のカラダを観るところから、中西氏が解説した拍動を感じ
「これで終わりでもいいかな…」と心を過ってしまった(笑)。
 
そこからヒモトレで等身大、本来の繋がりを体感。
繋がっていたことに気づいたところにyogaのポーズをいくつか紹介頂き参加者、
講師、スタッフと身も心も軽やかになったようだった。
 
 
yoga.jpg
 
今回、参加者、講師、スタッフと皆んなが楽しみにしていた演題のひとつ。
書道家武田双鳳氏のショヒモトレ。
ヒモトレを通して書道の面白さや奥深さを知って貰えればと伝えていたが、
それは皆さんの反響からも感じられた。
 
ヒモトレを通して、人知を超えた体全体の表現に出会うことにより、
作為的(部分的)な自分に気づき、表現の愉しさを感じて頂けたのではないかと思う。
書くは「削る、かく」が起源。
筆によって奥行きを表現するというのは非常に興味深った。
また武田氏のエンターテナーの要素はもちろんだが、
そこに散りばめられた武田氏の真の言葉は私達の体感として刻まれた。
 
 
ショヒモトレ.jpg
 
 
そして、曹洞宗僧侶の藤田一照師と武術研究者の甲野善紀先生との時間。
「身体の可能性を語る〜生命のパラダイムシフト」と題してご登壇頂く。
やはりお二人言葉は知性に溢れ深みを持って伝わってくる。
甲野先生の地球全体の環境問題の話から始まるが、すでに今こうすれば良いとう短期的な話ではなく、
人類が何世代もかけて向き合わなくてはならない状態であることから、
自分を超えた視野が必要になっていることを痛切に感じた。そんな視野を持つためには、
やはり一個人に立ち戻る、手がかりはやはり人知を超えた「カラダ」なのかもしれない。
 
仏教や禅についても仏法(矛盾)を受け取るための体感として、一照師はカラダを動かすこと、
感じることが仏教を受け取る素地作りとして伝えているのだと改めて感じることができた。
 
また、両師ともヒモトレに興味を持ってくれる背景には、
そういった「概念的矛盾を体感として矛盾なく伝えられる」ということにあるのではないかと思えた。
 
会の盛会はお二人の存在があってこそであり、
とにかく、両師には温かく見守って頂けたことが、何より有り難かった。
 
 
藤田甲野2.JPG
 
 
 
最後に小出女史との「語れない真ん中を語ってみる」。
短い時間でしたが、巨匠お二人の後に話すのは、僕と小出女史との挑戦でもありました(笑)。
彼女とは電話でも一番やりとりをしたと思う。前の日も夜中の1時過ぎまで話していたが、
当日の朝には「やっぱり全部捨てましょう!」となる。
この二日間でアップデートされた言葉にならないことを語ることが、
まさにテーマそのものを語ることに他ならないと、妻との会話で思い直せたことは大きかった。
 
 
小出女史がいう「ひとり」になることは、決して孤立ではなく「自立」ということであり、
そこに観えてくる分別できない「縁」(関係性)である。ヒモトレ的に言うなら、「塩梅」なのだろう。
 
真ん中.jpg
 
 
ひも一本から観えてくる壮大な?世界と可能性は、「私達そのもの」であること。
そして、ほんの些細なことにこれだけの内容、可能性が含まれていることは、
また新たに日々の身支度や日常をより丁寧に大切にして頂けるのではないかと思う。
 
 
 
最後に、参加した皆さん、講師陣、スタッフも含めて、このイベントに参加して残ったことが、
「答え」ではなく、新たな「問い」であったのならこれ程嬉しいことはありません。
会を支えてくれたスタッフの皆さんはもちろん、
参加者の皆様、講師、関わって下さった皆さんには心より感謝申し上げます。
 
                                     小関勲
 
 
 

集合写真.jpgのサムネール画像