小関アスリートバランス研究所

Kab Labo

バランスの力

心と体のバランスを保つ
(ほぼ)日刊語録


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分からないから良い?|2009年4月29日

●「分かる」と「分からない」

身体は私(知識)が分からないところの働きが大部分を占めている。
ユングが顕在意識と潜在意識の比率を5%と95%と言ったそうだが、
身体も同じように意識できない働きがほとんどではないだろうか。

ただ立っている行為にしても私たちはどのようにしているか、
実際は把握していない。どんな筋肉を何パーセント使っているか、
膝や足首を何度くらい曲げているのか。
そんなことをいちいち考えて操作していたら動けなくなってしまうし、
やはり分からないことだと感じてもらえるはずである。

kab labo.ではそんな分からないところの働きを大事にしている。
運動のほとんどが意識できないものであれば、その意識できないところに
アプローチした方がはるかに効率的ではないだろうか。

さて、「分かる」とは「分かれる」と書くが、
「分ける」から私たちは知識として理解できることを知っているだろうか。

身体は腕や脚、腰や胸、頭などに「分けられる」が
本来は「分けられる」ものではないし、
「分かれてはいない」ものである。

私たちは理解する(コミュニケートする)ためには、
分けて(名前をつける)ことが必要である。
この文章もそうである。だから伝えることができる。

でも大事なのは本質は分かれていないと
知っていることである。

「分かれていない」ということは、「分からない」ということである。

身体は分からない。

分からないという観点から身体を見ていくと
面白いことが見えてくるし感じることができる。

分からないことが悪いことだと感じる必要もないし、
分からないことをストレスに感じることもない。
分からないから追求や探究もできるし、
分からないから面白いのではないだろうか。

そんな分からない身体を
私たちは自由に使っているのだから不思議なものである。

                          kab labo.小関