小関アスリートバランス研究所

Kab Labo

バランスの力

心と体のバランスを保つ
(ほぼ)日刊語録


(マガジンID:0000211621) 登録無料 ※内容は変更する場合があります。ご了承下さい。

歪みを正す|2009年1月28日

●歪み 「歪む」という文字は「不正」と書く。

不正の「正」とは何を指しているのだろうか。
何が「正」ではないのだろうか。

我々の「正」は個々に違う。
善いこと、悪いこと。
許せること、許せないこと。…

個人的な基準の「正」ではない。
もっと壮大な「正」である。

「正」とは「自然」である。

自然は私たちが把握できるものではない。
私たちは受け入れるしかない。
それが自然の力である。

それにそぐわないとき、
不自然という歪みを起こす。

歳をとれば、柔軟性は小さくなり、
筋肉の強さも衰えてくる。

腰も曲がってくるかもしれない。

しかし、それはここで言う「歪み」ではない。

腰が曲がったらそれを修正することを
「歪みを直す」ことと勘違いしてはならない。
曲がることもひとつの自然であるからだ。

腰が曲がった状態でも
その範囲での自然体がある。
まず、それが大切である。

歳をとって歩幅狭くなった、足が上がらなくなったから、
単に歩幅を広げたり、足を上げたりしたらいいのだろうか。
それが不自然を生み出し、別のところに必ずしわ寄せを作る。

これが歪みの本質ではないだろうか。

「歪み」を修正するには、
部分的変化ではなく、全体感に目を向けることが大事である。

人も動物も
必ず、歳をとっていく。
歳をとるという言葉が嫌なら、「変化」といってもいい。

肌質も変わる。
新陳代謝も変われば、
食すものや量も変わっていく。

感覚、感性に注目していると
その変化を大切にできる。

しかし、見た目や情報に囚われると
その変化は見えなくなる。

考え事をしていると、
周りで起こっていることに
気付かないのと同じである。

瞬間瞬間私たちは変化していく。
変化とは自然である。
自然は今この瞬間に起こっていることであり、
過去にも未来にもない。

形や過去の情報と比べていると、
個人的な「正」を作ってしまう。

比べているうちにも、
変化は起こり続ける。

変化を味わうことなく、
過去に囚われ、
歳をとることが問題である。

歪みは今から離れた時に表れるもの
ではないだろうか。

身体的若さは戻らないかもしれないが、
自然体を深め続けることはできるだろう。

そしてそれが一番若々しく生きることではないだろうか。

                     kab labo.小関


▼2月のkab labo.講習会受付始めました。
こんなことを体感したい方はお気軽にどうぞ。
 
詳細は