小関アスリートバランス研究所

Kab Labo

バランスの力

心と体のバランスを保つ
(ほぼ)日刊語録


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身体は「1」|2007年4月20日

【今日のポイント】


●区別がバランスを崩す。


人の身体は、頭、首、肩、胸、腹、腕、腰、尻、脚、足…etc  と 
様々な名称が付けられている。
もちろん、私たち人間が考えたものである。

名称として分けることはできるが、
運動として捉えた場合、同じように分けることができるだろうか?

動物達はわざわざ、自分の腕、自分の脚などと認識してはいない。
なぜなら、身体は1つであり、実際は分別できるものではないからだ。
身体の細胞1つ1つまで、すべて関連して存在しているのだ。

だから、名称として身体は分けられても、
動作、運動は分けることができない。

より質の高い運動、自然動作を求めるならば、
このことが前提になければならない。

片脚立ちをしてうまくバランスがとれない人は、
軸となる片脚だけでバランスをとろうとしてしまってる人が多い。
逆に楽にバランスを保てる人は、身体全体が片脚立ちという
運動に参加している。

私が講習会で言っている「全体性」とはこのことに大きく関係する。
動物の動きと人間の動きが違うのはここの感覚なのだ。

人は言葉を使ってコミュニケーションをとる。
だから、より深く共通認識を高めるために
言葉は細かくなっていったと言える。

それは別に悪いことでもないし、このお陰で文明が発達したのは
言うまでもない。

しかし、この分けたことで、人の動作はより不自然なものとなっている
のも現実なのだ。(本来の能力が発揮できない)

ほとんどの人が、
「腕を挙げてください」と要求しても腕しか動かない。
本来は腕を挙げる運動には脚までも連動しているのに。
「身体を捻ってください」と言っても、腰しか動かさない。
全体が協調していないのだ。
これでは、ケガをするのは当然である。

「腕」と名称をつけることで、その部分しか動かせないという
深層心理が働いてしまっているのだろう。
本来は腕という名称は後付けであるのにだ。

身体を細かく分けることで、動きを解説したり、説明することはできるし、
聞く方もなんとなく納得できる。
ただ、分けることが、本来の運動の原理から眼をそらして
しまった原因とも言える。
だから、肩は肩の動き、腕は腕の動き、手は手の動きと、
それぞれがバラバラの運動をしてしまうのだ。

結果的に局所に負担がかかり、ケガがしやすくなるのはもちろん、
本来の能力が発揮できなくなる。

でも、バラバラな動きばかりではない。
過剰な意識が働いていない場合、
私たちの何気ない動作には、その全体性が働いている。

歩く運動をみても、手と足と胴体がバラバラに動くことはない。
全身が協調して運動している。
だから、人生の殆どで歩くことが苦になることはないのだ。
スポーツをして体が辛くないだろうか?
局所が痛くなっていないだろうか?
分別することで動きがバラバラになり、このような現象が起きる。
パワー不足、スピード不足は全体性がない証拠である。

身体の名称は限りなく分別できるが、
身体や動作は本来1つなのだ。

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