小関アスリートバランス研究所

Kab Labo

バランスの力

心と体のバランスを保つ
(ほぼ)日刊語録


(マガジンID:0000211621) 登録無料 ※内容は変更する場合があります。ご了承下さい。

短所と長所の関係|2009年3月23日


●短所と長所の関係

人はそれぞれ、
長所、短所がる。
才能があるところもある。
欠点や問題点もある。

でもそれは自分の見方や
人の見方で分けられているだけで
自分という存在の各部分に
名前を付けているだけなのだ。
頭、脚、腕、胴体…と同じように。

本来分けることができないのだ。

その長所があるから
その短所がある。

その欠点や問題点があるから
その才能があるのだ。

都合良くその部分だけとは
いかないのである。

欠点や問題点を修正したのであれば、
全体のバランスに目を向ける必要がある。

腰痛、肩こり、膝痛など

補強したり、薬を使えば、
軽減するかもしれない。
しかしそれは一時的、表面的なことである。

全体のバランスに目を向けるだけで
痛みは軽減したり、増したりする。

力やスピードを出すために
部分的強化や訓練をするが、
それは、全体のバランスを壊しかねない。

全体のバランスに目を向けるだけで
力やスピードは大きく変化する。

チームや組織においても同じことが言える。

問題は問題自体が問題なのではない。
全体のバランスがそういう問題を生んでいるだけである。

それだけで、問題との向き合い方が変わってくるし、
それが可愛くさえ思えてくる。

そう思えたとき、短所や長所という視点も消えているのだろう。

                     kab labo.小関

自然を学ぶ|2009年3月14日

●自然を学ぶ 自然は学ぶことができない。

なぜなら、すでに完成されているものだからだ。
私たちが意識してもしなくても、
生きていようが死んでいようがそこにあり続けるものである。

自然は元々あるもである。もともとあるものを人は
学ぶことはできない。


歩く、立つ、座る
何気なく頭をかいている。
これはどうやっているか分からない。
何故なら、自然にやっているから。


そしてそれをもう一度再現したり、
もっと自然にしてください。
と言われれば言われるほど、
自然から遠ざかる。


何故なら自然は作ることができないからだ。
もう完全にそこにあるのに
どうして作り出すことができるのだろう。


自然は自己の不自然を見つけて
解放するほど姿を現してくれる。


不自然は私たちが後天的に身につけたものである。
身につけたのが自分であるならば、
その不自然を取り払うことができるのも自分である。

私たちが本当に自然を学ぶというなら、
それは自分の不自然を知ることに他ならない。


では不自然とはなんだろう。。。

問いはなくならないものである。

                    kab labo.小関

▼全身のバランスを体感してみる。   東京、仙台、大阪講習会 受付中

因と縁|2009年3月13日

●それ以上にしない。 因や縁というのは、 確かにある。

因とは因果の因、原因の因である。
縁とはゆかり。その過去の経緯など道筋を言う。

しかし、それらには、
それ以上付加価値をつける必要もない。

なぜなら、その因や縁が
今の動きを妨げるからである。

何かの結果がよければ、
これをしたから良かったんだ!
この感じが良かったのだろう!
と納得したいものである。

しかし、次回もそれに頼ると
上手く行かないことが多いはずである。

一流プレーヤーになると
これをしたから云々とは言わないはずである。
何故なら、上手くいかないことを知っているからである。

それがもし本当に良かったことであっても
それに頼り始めると、即、囚われとなり、問題となる。

コンディション作りが上手い人は
素直に今の状態に注目できる人である。

因や縁に囚われないこと、それ以上意味づけをしないこと。

当然、因や縁はあって良いし、
忘れる必要はない。大切にしても良いだろう。

しかし、それ以上求める(頼る)ものでもない。

前世であの人と、この人は・・・
それよりも今どうあるかが大事である。
もしそれが前世で関係があっても、
私たちはそこには戻ることはできないし、
見ることも、触れることもできない。

過去は事実かもしれない。
でも真実ではない。

今の私たちには今のことが一番重要であり、
リアルな真実なのである。何故ならそこに「生」があるからだ。

今、草木は成長し、今、私たちが成長し、今、動物たちは進化し、
今、老化している、今、死があり、今、生が誕生している。

今にしか「生」はない。

運動とは生の活動の表現である。
生をまっとうすること、
それが運動能力を最大限発揮することに繋がる。

貴方の手枷、足枷となっているかもしれないものを
一度手放して、運動してみる。
もっと生を感じることができるだろう。

是非試して頂きたい。

                     kab labo.小関


▼全身のバランスを体感してみる。
  東京、仙台、大阪講習会 受付中

形や型の意味|2009年3月 3日

●形や型の意味 スポーツをするなかで(それ以外でも)、 形や型はとても大切にされる。 しかし、形や型はどのようにしてできたのか 考えたことがあるだろうか。

その意味を理解すると
形や型はとても大きな意味を持ってくる。

形は結果的に表れるものであり、
最初に形を持ってくると不自然なものになる。

形とは運動中の一部分を切り取ってできたものである。
だから運動中の流れや生き生きとした感覚というのが
なくてはならないはずである。

試しに実験してみよう。

・ただ腕を前にだしてみます。
すると表れたのが「腕を出した形」です。

・では、その形に合わせてもう一度腕を出してみます。
最初と後の感触を確かめてみよう。

・次に、も一度最初のように腕を出してみます。
他の人に、手の辺りを上から少し押してもらう。

・次に、「腕を出した形」に合わせて腕を出します。
同じように上から押してもらいます。

どうでしょうか。安定感がまったく違うことに
気付くと思います。
    ・
    ・
    ・
このように自然に出したときに表れる形と
形に合わせて出した形では、内容がまったく違ってくることが分かる。

よくバランス講習会では、内的バランス、外的バランスという
表現をするが、形状だけのバランスが良くても意味はないことを
体験してもらう。むしろ内的バランスだけに目を向けてもらう。
すると本人も驚くようなバランス能力を発揮する。

形や型を追うことはそれと同じことである。

基本的に形や型とはその分野で秀でた人を参考、お手本にしたものだと
考えてもいい。(もちろん、後から付け足されたことはあるだろうが)

しかし、手本となった、その本人はその形や型を形や型とは
していなかったはずである。
何故なら、その人の自然な振る舞いや動作がそうなっただけだからだ。

そう考えると形や型をどの程度大切にするのか。
形や型を基準とみるよりも、形や型までの過程に目を向けることができる。

とっさに動いた時にその形や型が生まれてこない人は、
ただ内容が伴っていないからである。

その内容は、
形や型を前に置くのではなく、後に置いてみることで見えてくるだろう。
是非試して頂きたい。

                         kab labo.小関

▼バランス講習会に興味のある方は こちらへ

視点を変える|2009年2月26日

●運動の視点を変えてみる。

運動の視点を変えると、
運動の質を変えることができる。

では、どう変えれば質が変わるだろう。

人は実感したところに意識を置きやすい。

例えば、パンチを出すとき、
どこに一番実感を持つだろうか。
一般的には腕や肩辺りに実感を持つ人が
ほとんどではないだろうか。

ゴルフのスウィングのとき、
軸足に実感を持つ。

荷物を持つ時、腰に実感を持つ。

このように運動のポイントに
意識をおくことが当然のように思われる。

kab labo.では、このような状態を
「偏り」としている。
偏りとはバランスを崩す原因である。
実感を持つことは運動の不自由さを招くのだ

試しに片腕を出して
なるべく早く腕を振ってみる。

次に、その腕を強く握って
同じように腕を振ってみる。

次に肩に実感をもって
腕を振ってみる。

もう一度、無駄な力を抜いてから
腕を振ってみる。

違いが分かっただろうか。

自由度、力、速さ全てにおいて、
違いがあるはずである。

ひとつの運動において、
自分が実感として持っているものを
変えてみると新しい世界が広がる。

例えば、走ったり、歩いたりするとき、
蹴り足(後足)に実感を持つ人が多い。
これを、出す足(前足)に視点を持ってくる。
すると、気持ち悪いくらい楽に前に進むことが分かる。

陸上関係によくお伝えしているがとても驚かれる。

これだけでパフォーマンスが激変したことに
気付くだろう。

これは、前足に意識を置いたことが招いた結果ではなく、
「蹴り足から意識が離れた」ということが変化をもたらしたのだ。

運動は全体であると度々言っているが、
まさに全体の作用がもたらした変化であろう。

是非試して頂きたい。
                           kab labo.小関

練習の意味|2009年2月20日

●感覚を試す

練習とはどんな意味があるのだろう。

鍛えるため、ということもあるだろうが、
最終的には自信をつけるためである。


では、自信とはどうやってつけていくものだろう。

それは、それが当たり前になっていくことである。
当たり前とは、人に左右されない自分自身の動きをすることだ。
自分自身の動き、それは自分のバランスを知ることであり、
その中で自由に動くことに繋がる。


自由とはどんなものだろうか。
まずは、試してみることから始めなくてはならない。

それが自由でバランスが良いものかどうか。

こんな感じではどうか。→やってみる。
こんな感覚だったら。→やってみる。

そうやって自分の感覚、感性で判断していくと
いつの間にかバランス力は向上している。

様々な練習風景をみているが、自分の感覚を試している
ことをほとんど重視していないように思われる。

技術やチームプレーを試すことも大切だが、
自分自身の感覚を試すことを忘れてはならない。

そやって捉えていくと、練習の意味も大きく変わってくるだろう。
是非試して頂きたい。
                       kab labo.小関


▼自分のバランスを試してみては
3月20日 東京バランス講習会   3月21日仙台バランス講習会

扉を開ける|2009年2月19日

●扉を開ける 身体の感覚を深めていくには、 同じようなことの突き詰めとも言える。

一度理解したら、それで終わりではない。
扉を開けたら、次の扉が待っている。
またその扉を開けていく。

この扉を開け続けるという「過程そのもの」
大切なものがある。

ただ、見た目が同じような扉であるため、
最初は進歩していないように感じることもある。

扉を開け続けているうち、
いつからか毎回違う扉を開けていることを知る。

すると、いつの間にか身体と動きの調和が良くなって
いることに気付く。

感覚とは、意識できていないところの働きが大きい。
歩くという行為も意識しているのは、方向性や速度を
決めるだけで、後は意識していないところが
ほとんどやってくれる。

扉は意識できるところである。
どれだけ扉を開けたかで自分の感覚が深まっていくのだ。

ただ、扉を開けるには1つ条件がある。

それは、扉を抜ける際には何も持っていないことである。
今までの経験、常識、記憶、培ったもの、成功、失敗、一秒前のことすら・・・
常に自分ひとりしか通ることのできない扉である。

今までの経験をなかったことにする必要はない。
ただ、それらを手放すことはできるはずである。

とりあえず、目の前の扉を開けることから。

                     kab labo.小関

感覚は環境を創る|2009年2月18日

●感覚は環境を創る

身体は理屈では説明できない。
もちろん、局所的な機能や関係は
説明することは可能であろう。

しかし、その局所は常に身体全体の上に
成り立っていることを忘れてはならない。
全体があっての局所的な検証でなければならない。

だから、ここを混同すると上手く行かないのは
当然なのである。
局所的な理解をもって、身体全体は働かない。

例えば、走るにしても大腰筋が大切だと言う。
確かに必要な要素ではあるだろうが、
それだけに注目しすぎていいのだろうか。

ボルドー選手など異常な大きさの大腰筋があるようだが、
彼自身それを知って大腰筋を鍛えた訳ではない。

しかし、局部的な理論に信仰を持ってしまう人は、
大腰筋を鍛えれば足が早くなると思ってしまう。

この時点で、ボルドー選手とはまったく違うアプローチに
なっていることに気付かなければならない。

人や動物は環境で身体の構造や機能や突出させる能力が
違ってくる。

それは、環境という全体的影響であり、
個人がどうこうできるものではない。

ボルドー選手も環境の影響は大きいだろう。
その環境の影響で掴んだ感覚の方が
なによりも早く走るために大切なことなのである。

そう考えれば、
身体にしても全身の感覚を変えることで
自然と機能してくるところが変わってくると言える。

感覚を変えていくとは、環境を変えることである。

私たちは環境を変えるために、いきなり、ジャングルに居を
移すわけにはいかない(笑)

だから、手っ取り早くできるのは感覚を変えていくことである。

感覚をどのように変えていくかで
全体の作用、働きは大きく変わっていく。

kab labo.バランス講習会では、
そうやってどんな感覚が体の統率を生み、
どんな感覚が能力を低下させてしまっているのか
体感しながら行なっている。

ある高校では5年前くらいから、バランストレーニングをはじめ、
全体性を大事に感覚的トレーニングを行なっているが、
今年はすでに5人ほど140キロ台を投げる選手が出てきている。
ちなみに局所的トレーニングは一切やっていない。
さらに、部員70名のうち、ケガ人はいないそうである。

局所的なトレーニングではなく、全体の感覚を変えることで
環境を変化させたことが、能力発揮に大きく関わっているだろう。

局所の強化ではなく、全体の調和。それが、バランスであり、
能力発揮の大きな鍵になる。

是非試して頂きたい。
                          kab labo.小関


仙台にてkab labo.講習会を行います。よろしければ。

→を知る|2009年2月17日

●→を知る

相手や結果をどうにかするには、
その過程や道筋が大切である。

過程や道筋とは、
例えば、A→Bというような
結果(A)から結果(B)ことではなく、
「→」のことである。

一般的にトレーニングとは
このAとういう形やAについての理論を
深めていくことを繰り返しているもの(Bもしかり)。

よく、動きの解説で「1、2、3」というように
動きを分解しているが、それを素で行なっているのが
一般的トレーニングの理解である。

だから、その過程や道筋である「→」そのものに
目を向ける人は非常に少ない。

何故なら、AやBとは違い、指し示すことが困難な
部分だからである。

例えば、茶碗の本体はどのような素材でどう作られたか、
そしてどうやれば上手くできるのかというように理解できる。
つまり、茶碗自体がAやBである。
「→」はその茶碗の空間を指しているようなものなのだ。
しかし、どんなに良い陶器でも、どんなに良い柄でも
どんなに有名な人が作ったものでも、お茶を注ぐ空間がなければ、
茶碗としての意味がなくなってしまう。

そんな「→」を知るためには、
見た目や形に囚われないことである。
結果はすべて結果的なものである。
振り返って初めて理解できるものであり、
認識して理解できるものではないという理解が必要である。

過程や道筋は常にそこにあり続け、
自己が振り返ったところが結果となる。

つまり、大事なのは結果という幻想に惑わされず、
過程や道筋を景色を眺め歩るき続けることである。

それが感覚を大切にすることに繋がる。
「→」は感覚でしか捉えられないものである。
そして誰にも頼れない自分だけの領域なのだ。

相手や結果を求める前に
自分はどこに居るのかが重要である。

自分の立ち位置が分かったなら、
どこに動いても自由なのだから。

                      kab labo.小関

気配を消す|2009年2月 3日

●気配を消す 相手に動きを読まれてしまう。 読まれにくい人、読まれやすい人の 違いは何だろうか。

実は、相手は貴方の動きを予測しているのではなく、
貴方が動く合図をしているから気づかれる
というのが真相である。

えっ、そんなことはないはず!
と思うかもしれませんが、

相手自身も気付いていない信号(つまり無意識)を
キャッチし貴方の動きを読んでいるのです。

では、どんな信号をだしているのでしょうか。
信号とは、動きの癖のようなもので、
無意識レベルのルーティンと考えてもよい。

つまり動く前に、何か起点を作り動いているということだ。
例えば、踏ん張ってから動く癖。
力を抜いてから動く癖などなど。

動く前の動きが信号となり、相手に届くのだ。

では、実験してみましょう。まず2人ペアになります。
Aさんが片手を差し出します(手の甲を上にして)。
Bさんはその出した手の上に片手を触れ合わないように重ねます。

これで準備オーケー。

ルールは簡単。
・Aさんはいつでもいいので、素早くその手を後に引きます。
・BさんはAさんが少しでも信号を発したらその手を掴みます。
※注意点、動き自体を検証しているため、フェイントは一切使わないこと。

・まず最初に、自分なりに素早く手を引いてみる。
・次に、どこか起点を作った状態で、手を引いてみる(足元や腰など)。
・次に、手を引くのではなく、肘先端を引く感覚でやってみる(一切準備せずに)。

それぞれ違う質感を味わえると思います。
さて、どれが気配なく動けただろうか。

このように同じ動作を違う感覚で行うことで
動きの質を変えることができる。

これは意識をそらすことで
「引くという動作」から離れたことにより
無意識のルーティンからも離れられるのだ。

いつの間にかマニュアル化された動きは
無意識のルーティンを作り出す。

そのルーティンを外していくには、
動作や方法に囚われるのではなく、
意識や動作の起点がないかを
常に自分を観察することである。

打撃や投げなど他の動作にも応用できるので
是非試して頂きたい。

                  kab labo.小関