小関アスリートバランス研究所

Kab Labo

バランスの力

心と体のバランスを保つ
(ほぼ)日刊語録


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「ある」視点「ない」視点|2008年12月22日

●「ある」視点と「ない」視点

トレーニングの観念として、
ないものを身につける。
付け加える。
というのがベースなっている人が多い。

人は「ない」ものに対しての
欲求が高くなる。

しかし、私たちの体は
どうあがいても、
自分の身体以上のことはできない。

ちょっと見方を変えてみると
新しい発見ができる。

それは、
「ある」ものだけを追求してみること。

「ある」物に関して人は興味を持ちにくい。

恋愛と同じである。

恋愛とはお互いに
ないものを求めている時期があり、
そこに価値を見出すことがある。
そして、それを崇めてしまう。

しかし、大事なのはそれを通して
そのままの相手を知り、同時に
そのままの己を知ること。

身体面からいっても
恋愛のようにトレーニングしている
人が多い。

もっと素直に自分の身体と向き合えばいい。

「ある」ものを大事にすること。
「ある」ものをどう利用するか。
「ある」ものをどのように伸ばすか。
「ある」ものをもっと探してみること。
「ある」ものに働きかけすること。

すると身体はそれに答えるように
能力を発揮してくれる。

「ある」ものだけ見るようになると、
不思議と「ない」ものの欲求は薄くなる。

そして「ない」ものは迷路だということが分かる。
すると「ある」ものは道を示してくれる。

自分の「ある」もの、「ない」ものを
観察してみよう。

                    kab labo.小関

プロ論|2008年12月20日

●プロ論

プロになれば、大変だ。
楽しさだけでは、プロはやっていけない。

これはスポーツだけのことではない。
よく見ると、生活や仕事、なにか意識的に行なうもの
すべてに当てはまる。

私も以前はなんの不思議もなくそう思っていた。
しかし、この苦しさ、辛さとは何だろう。

苦しい、辛い。

しかし、そう思ったからといって、パフォーマンスは変わらない。
否、逆にパフォーマンスは低下する。

その中に楽しみを見出す。というが、
違う感情は同時に存在しない。
どちらかである。

何かしようと思った瞬間、プレッシャーが表れる。
そう在りたい、
もっとこうなりたい、
こうであらなければならない、
そんな自分の欲求との格闘がそれを生む。

プロの苦しさ、辛さの度合いとは、
自分自身の投影であることに、
気付かなくてはならない。

そこから解放されたプロは型にはまっていない。
全体のバランスが抜群である。
世間にも、自分にも囚われない。

プロでありながらプロ(専門家)になっていない。

それが本当のプロではないだろうか。

              kab labo.小関

考えをコントロールする|2008年12月 3日

●考えをコントロールする 人は考えに囚われやすい。 何故なら、考えを自分自身として 重ねて捉えてしまうからだ。

しかし、考えも手足と同じ
ひとつの能力や機能である。

手も足も自分で自由にコントロールできるように、
考えもひとつの能力や機能として捉えることが大切だ。
何故なら、考えが全体を把握することはできないからだ。

ひとつの機能として捉えられれば、
考えも自分でコントロールできる。

考えが起こることをコントロールすることは難しいが、
それ自体を受け止めることで
もっと全体的にコントロールすることは可能である。

考えに囚われるのではなく、
考えを把握し受け止めるだけで、
考えをコントロールできるようになる。

                     kab labo.小関

崩れぬバランス|2008年10月21日

●バランスを保つ

身体バランスが良い人とは、
「バランス」が崩れない人ではなく、
「バランス感覚」が崩れにくい人である。

バランス感覚とは
外面的なものではなく、
内面的なものである。

だから外面を鍛えても
結果が表れない人が絶えない。

内面は鍛えるのではなく、
気づくしないない。
どんな感覚がそれをもたらすのか。
どんな感覚がバランスを保つのか。
どんな感覚がバランスを崩してしまうのか。

               kab labo.小関

問題と貴方(私)|2008年9月26日

●問題と貴方(私)


問題が起こっている
その時、必ず貴方がそこいる。

いくら環境や状況が変わっても、
常に貴方はそこにいる。


          kab labo.小関


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何を見る?|2008年9月24日


●見る

人は「見たいもの」を「見たいように」見ている。
その人にとってはそれが真実であろう。

間違いではないが、それは全体の一部でしかない。

「見たいもの」を「見たいように」は
すべて個人的な都合である。

この個人的都合を取り払って見ることは
すべての問題解決に繋がる。

何故なら、すべて悩みや問題は
個人的な都合(記憶)から生まれるからである。

バランスボードでバランスを保てることが
大切なのではない。

バランスを保つときに、バランスを阻害する
何かを発見することである。

何かを発見したら、また新たな発見ができる。
その過程が「感覚を深めていく」ということ。

そのためには、「見たいことを」「見たいように」
ではなく、ただ個人的制限なく「見る」状態が必要なのだ。

それが自然体やニュートラルを
感じることができる唯一の手段である。

                   kab labo.小関

間合い|2008年9月23日

●間に合う 間合いという言葉がある。 これは、相手との間合いという意味もあるが、 大事なのは自分自信に対しての間合いである。

身体が間に合っていない、
心が間に合っていないとき、

相手との間合いもとれなくなっている。
アスリートたちがいいパフォーマンスを
発揮したとき、口を揃えてこう言っている。

「自分のプレーができました」
「自分の動きができました」と。

自分自身の間合いがとれなくて、
他人との間合い、外物との間合いは
とれるはずがない。

まずは、自分の間合いを見つめてみては
いかがだろうか?

                             kab labo.小関


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軽快に動く|2008年9月23日

●軽快感 軽快に動くには、 軽快に動く準備が必要である。 それは、軽快感を持つことである。 軽快感とは軽快に動ける感じのこと。

試しに、実験してみよう。
・まず、その場でなるべく早く(全力で)
駆け足(足踏み)をする。
・次に、もっと早く、早くと気持ちをもって
同じように駆け足(足踏み)をしてみる。
・次に、楽な自由な状態になってから
同じように駆け足(足踏み)をしてみる。

どうだろう。違いがはっきり表れるはずである。

軽快に動くには、早く動こうとする気持ちより、
身体の状態が軽快かどうかが大切である。

緊張して身体が動かなくなった時、
それは気持ちが先走っている証拠。

そんな時、
身体に軽快感があるか聞いてみるのも方法である。

                       kab labo.小関

まだ余裕がございます。よろしければ是非、体感ください。
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注意の注意|2008年9月22日

●注意の注意

注意すること。

私たちは注意するといった場合、
殆どが何かに注意する。

それは目的を持ってしまうこと。

だから、
何か予め注意する事柄を決めていることになる。
それは見方を変えれば、
他のすべてが疎かになりうる状態でもあるのだ。

大事なのは、部分的注意ではなく、
目的を決めない全体的注意である。

例えば、スポーツで何度も失敗していることに
注意すればするほど、
他のことが疎かになり、結果的に同じような失敗や
違う失敗をしてしまう。

ここでの大きな問題は、
問題を問題にしていることである。

これが部分的注意の注意点。

「失敗する何か」から離れた時
この問題は解決し始める。

何かを注意するのではなく、
不注意が起こったことに気付くことが大事。

そのためには、
目的を持たない全体的注意が大事である。

全体的に注意とは、ニュートラルであり、自然体である。
逆にニュートラルで自然体の時しか、全体的注意はできない。

この時、結果的に一番注意深くなっている。

                            kab labo.小関

身体操作法|2008年9月18日

●身体操作法 身体の使い方や操作方法など 最近では色々とある。

私自身も講習会などで
身体の使い方を伝えているが、
大事なのは方法や理論ではない。

身体や動作、運動の捉え方(考え方)と
バランスの良い感覚掴みである。

方法や理論は殆どが跡付けである。
理解は行う前にするのではなく、
後からするものである。

形や型はいつでも修正できる。


-捉え方-

身体のことは殆ど分かっていない。

分かっていることはほんのわずかである。

しかし、人は分かっていることを駆使して
分からないことも分かろうとする。
安心したいのだ。


それが制限となり、バランスの偏り、崩れとなる。

では分かっていないことを
どう理解したらいいだろうか?


それは分からないままにしておけばいい。

つまり、自然にしておくことである。


自然という状態が全体を取りまとめてくれる。

ほんの少し分かったことを利用するより、
殆ど分かっていないことを活かした方が
いいのではないだろうか?

そうやって自分を苦しめてしまっている
スポーツ選手が本当に多い。

人はわからないことが殆どなのだ。
それが当たり前なのだから
そうしておけばいい。

何の問題があるだろうか。
その方が体も動くし、作用も大きいのだ。


-感覚を掴む-

これは是非体験して頂くしかないので、
機会がございましたら覗いてみてください。

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